第124回企画 金子國義・四谷シモン「1967年、ある日」展

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Galerie LIBRAIRIE6では、金子國義・四谷シモン「1967年、ある日」展を2025年4月12日 (土) 〜 5月18日 (日) まで開催いたします。
1960年代初頭、金子國義と四谷シモンはセツ・モードセミナーで出会い、絵画と人形というそれぞれの表現を確立させ、互いの美意識を認め合う友人として長年親交を深めました。1966年、金子は澁澤の依頼で『O嬢の物語』の挿絵を描いたのが初めての仕事になり、以後本格的に画家としての人生が始まります。四谷が『白紙の状態に澁澤さんというインクが染み込んでいったのが僕だった』と話すように、澁澤龍彦は二人にとっての精神的支柱でした。
1967年は、金子國義の紹介で四谷シモンが澁澤龍彦と出会った年で、その日を機に人形作家として四谷シモンが誕生し、1973年に個展「未来と過去のイヴ」を開催しました。本展では、金子國義『O嬢の物語』や油彩、版画作品と共に四谷シモン『天使ー澁澤龍彦に捧ぐ』ほか人形作品と新作パステル画を展示いたします。

📢LIBRAIRIE6の15周年記念展として、金子國義と四谷シモンのオリジナルグッズを販売いたします。オンラインショップは<<こちら>>
作品のお問い合わせは<<info@librairie6.com>>までお願い致します。
※SNSからのお問い合わせはご遠慮下さいませ。
〈協力〉Studio KANEKO

【四谷シモンさん在廊日】※5月17日(土)本日雨天のため在廊中止となりました。
4月12日(土) 、19日(土)、26日(土)
5月3日(土) 、10日(土) 16:00~18:00まで在廊予定。
※変更の可能性もございます事、ご了承ください。
※その他、在廊日は決まり次第HP / SNSにてお知らせ致します。


〈はじまりは節モードセミナー〉

金子國義とは、長沢節さんの節モードセミナーではじめて会いました。10代のころです。
当時僕は渋谷でアルバイトをしていましたが、時間がたっぷりあったので、突然ファッションの勉強がしたくなって、渋谷に近い高樹町にあった節モードセミナーに通いはじめたんです。
セミナーには、いろんなポーズをとるモデルを前にして絵を描くという授業がありました。すでに人形はつくっていたものの、ふとした思いつきで通い始めた学校でしたから、僕はなにもできず、絵を描くのがとても遅かったんですが、隣の人のスケッチブックを覗いたら、さっさと何枚も描きあげてました。
おもわず「上手ですね」と声をかけると、にっこり笑って「そうでもないよ」という返事が返ってきました。それが金子でした。それがきっかけになり、彼はいろんな話をきかせてくれました。『ハーパーズ・バザー』や『ヴォーグ』といったファッション雑誌のこと、そこで活躍しているカメラマンのこと、そしてマヌカンたちのことなどです。気まぐれな僕と違って、金子はファッションに強い興味をもっており、自分が好きなものがはっきりしていたんですね。金子の話はいつ終わるともなく続き、食い入るようにそれを聞いていると、気が合うとおもったのか、「今度、ウチに遊びにこない」と誘ってくれました。
彼は、僕が知らないさまざまな世界の扉を開いてくれた、生まれてはじめての人です。とにかく話がおもしろいので、誘われるままに金子の部屋に行くと、壁一面にいろんな額縁が飾ってありました。映画女優、オートクチュールのマヌカン、アンリ・ルソーの絵などなど・・・。
また、本棚には、正倉院、歌舞伎、辻留など、やはり僕が知らない世界の本がたくさんあり、きくと「辻留っていうのはねえ」という感じで熱心に説明してくれました。金子と話していると、まるで未知の世界が次々に開けてくるような感動を覚えました。そして突然「歌舞伎、観たことあるの」とたずねてきたんです。「いや、一度も」と返すと、「そう、じゃ今度いっしょに行こう」と、またまた奥の世界に誘ってくれました。そして実際に歌舞伎座に連れて行ってくれただけでなく、見どころまで教えてくれ、それをきっかけに僕はすっかり歌舞伎ファンになりました。歌舞伎にすっかり入れ込んだ僕は、金子といっしょに『籠釣瓶』という演目のセリフや所作の真似をして遊んだことがあります。そんなことが続いたある日、いつものように金子の部屋に行くと、壁に少女の油絵がかかっていました。
「いつの間に描いたんだろう」と不思議に思いながら、しばらくしてまた金子の部屋に行くと、今度は壁一面、所狭しと少年少女の絵が飾ってあり、僕はその多さに度肝を抜かれてしまいました。「いつの間にこんなに描いたの」と聞いても、彼はなにも答えません。ただ「前に住んでいた人がキャンヴァスを置いていったんで、それに描いたんだ」とだけ説明してくれました。
しかしそれをきっかけに、金子はどんどん油絵に熱中していきました・・・。   令和7年2月23日 四谷シモン


Open / 水・木・金・土・日 12:00 ‐ 18:00
Close / 月曜日・火曜日
※ 展覧会最終日は17:00に閉廊いたします。
Address / 東京都渋谷区恵比寿南1-12-2 南ビル3F
Tel / 03-6452-3345
Contact / info@librairie6.com

金子國義 – Kuniyoshi Kaneko –
1936年7月23日 埼玉県生まれ。
ミッションスクールの聖学院中・高等学校を経て、日大芸術学部在学中に舞台美術家の長坂元弘氏に師事。1964年より独学で油絵を描き始め、翌年『O嬢の物語』の翻訳を行っていた澁澤龍彦の依頼で同作の挿絵を手がける。寺山修司、四谷シモンといった日本の前衛芸術を切り開いた時代の寵児らとともにデビューし、1967年個展「花咲く乙女たち」で初個展。また、『富士見ロマン文庫』『ユリイカ』『婦人公論』をはじめ多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がける。絵画のみならず、着物デザイン、写真、舞台美術など多岐にわたる活動は衰えることなく、2005年の十八代目中村勘三郎襲名披露興業に続き、2012年の六代目中村勘九郎襲名披露の口上の美術を手がけた。L’Arc〜en〜Cielのhydeとは、プライベートも含めて親交が深くアルバム「FAITH」のジャケットアートワークや、コウモリをモチーフにした浴衣のデザインをした。2015年3月16日、東京都品川区の自宅にて逝去。78歳没。

四谷シモン – Simon Yotsuya –
1944年東京・五反田に生まれる。
タンゴの楽師である父、ダンサーの母という芸能一家で育つ。小学生の頃から人形を作り始め、10代半ばで人形作家・川崎プッペを訪ね、17歳の時にはぬいぐるみ人形作家の水上雄次の内弟子になる。1965年、雑誌『新婦人』に掲載されていた、澁澤龍彦の紹介によるハンス・ベルメールの球体関節人形を見て衝撃を受け、それまでの人形制作方法を捨てる。人形とは「人のかたち」であり関節で動くもの、人形とは人形そのものであると悟り、以後独学で球体関節人形の制作を始め、新しい人形表現の地平を切り拓いた。1967年、画家・金子國義を通じて、澁澤龍彦、唐十郎と知り合う。同年、唐十郎の状況劇場の芝居「ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇」に女形として出演する。1968年3月から6月にかけて、状況劇場の紅テントの芝居「由井正雪」に「的場のお銀」役で出演する。この時から「四谷シモン」の芸名を使う。1971年まで状況劇場の役者として活動する。現在は、日本における球体関節人形の第一人者として国内のみならず海外からも高く評価されている。

LIBRAIRIE6 /シス書店
Address : 東京都渋谷区恵比寿南1-12-2 南ビル3F
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OPEN : 水・木・金・土・日 12:00‐18:00
CLOSE : 月曜日 ・火曜日(月火が祝日の場合も店休)
    ※展覧会最終日は17:00に閉廊いたします。
©Kuniyoshi Kaneko ©Simon Yotsuya
Photo 1969年 金子國義「千鳥たち」展会場にて
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【ご来廊の皆さまへ】  
○状況に応じて開廊時間を変更する場合はHP・SNSにてお知らせいたします。
ご理解とご協力のほど宜しくお願い申し上げます。